路傍の礫石

ふと気が付けば見える、足元を支える小石たち

レオン (1994年)

今までに何度か見た映画ではあったのだが、完全版だけは見たことがなかったので、記念すべき最初の記事は「レオン」にしようと思う。記事を書くのを理由に、完全版を見るのはとても良い理由になるからだ。

 

この映画はリュック・ベッソン監督の代表作であると同時に、ナタリー・ポートマンの映画デビュー作品、そしてジャン・レノのブレイク作品である。

 

演技に関しては、ゲイリー・オールドマンの本当に薬物をキメちゃってるんじゃないかと思う演技がとても上手で、ひそかな見どころだと思っている。

 

物語に関しては、一流の殺し屋のレオンと家族を殺され復讐を思う少女マチルダ、この二人の出会いから始まり、そして別れで終わる。日本公開時のキャッチコピーは「凶暴な純愛」ニキータの流れを汲むリュック・ベッソン監督の十八番分野の映画。

 

この映画を見終わった時に感じる緊張感からの解放は、大きな物語を読み終わった充足感を感じる。

 

それは何故か?

 

少なくとも映画の登場人物で幸せになったといえる存在はいないといっても過言ではない。

 

レオンとスタンスフィールドは壮絶な最期を遂げ、マチルダは最愛の弟とレオンを失い、トニーの立場は失墜し、街から薬物が消えることはない。

 

それにも関わらず、この物語を見終わった後に感じるのは満足感なのである。

 

レオンという映画には常に対立するものが立ち現われては消えていき、私たちの心を同じ所に留め置かない。それは暴力と平穏、家族と孤独、生と死、男と女、愛と憎しみ、大人と子供、両端に存在する者たちが常に現れては消えていき、私たちの心に緊張の糸を張らせ、最後まで緩めることを許してくれない。

 

その最たるものがレオンとマチルダである。

レオンは大人であり、男であるが、マチルダは、子供であり、女である。

レオンは寡黙であり、読み書きが出来ない、マチルダはお喋りであり、読み書きが出来る。

レオンは煙草を吸わないが、マチルダは煙草を吸い、レオンは慎重であるが、マチルダは迂闊である。

 

これらは映画のあらゆるシーンを通して語られた物語である。

 

それはマチルダがレオンに言った「私は大人よ、ただ歳を取ってないだけ」という言葉に現れ、レオンの「俺は歳だけは取ったが、これから大人になるんだ」という言葉によって消えていく。

 

または、男性的で暴力の象徴である「銃」と女性的で温もりの象徴である「ミルク」としても現れては消えていく。

 

全ては対立する者たちの上で物語は進んでいくので、ゲイリー・オールドマンが演じるスタンスフィールドが、麻薬取締役局の警察官でありながら麻薬売人であることはある意味当然のことなのである。

 

つまり満足感の理由も、この常に対立する者たちの中にあると思うことは、決して間違いではない。

 

何故ならば、物語の始まりは非常に鬱屈としたものであるならば、その終わりは開放的で充足したものになるべきなのだから。

 

物語の出だしはアパートの最上階で虐待を受けたマチルダが煙草を吸い、レオンが声をかけて始まる。マチルダは父と継母と義理の姉に疎まれており、家族からは更生のために寄宿制の学校に入れられそうになっている。そんな中、マチルダは学校からの電話は取り、母親のふりをしてこう言うのだ「娘は死にました」と。その後、買い物に行っている間にスタンスフィールドにより家族を皆殺しにされる。

 

何とも救いのない話ではあるが、そんなマチルダをレオンが受け入れるのである。初めは煙草を吸っているマチルダに対して声を掛けることから始まり、家族から暴力を振るわれたマチルダにティッシュを渡し、そのお礼にマチルダがレオンの分のミルクを買いに行き、そして買い物中に家族を殺されたことに気づいたマチルダはレオンに助けを求め、レオンはそれに応じた。

 

鬱屈した状態から一つの解放へと進み始める。それはマチルダだけでなく、レオンにとっても同じであった。

 

初めはマチルダの書いた文字を読めなかったレオンが、物語の終盤にはマチルダの手紙を読み、マチルダを助けに行くという象徴的なシーンに現れ、また寡黙で何も語らない男であったレオンが、マチルダに己の過去と気持ちを語る言葉が増えたことで表出する。

 

レオンとマチルダの平穏な日常が描かれるが、その終焉は暴力で演出される。レオンとマチルダが隠れていたアパートに特殊部隊が突入し、レオンはマチルダの尊厳と命を守るために死に、マチルダはレオンの喪失と弟の復讐を果たす。

 

そして、物語の最後は寄宿制の学校でマチルダがレオンの友達である観葉植物を大地に植え

「これで安心ねレオン」という台詞で終わる。

 

観葉植物はこの映画の中において独特な雰囲気をもった存在で、喉に引っかかった魚の骨のように、意識の片隅に常に居座って僅かばかりの主張を常に繰り返す。

 

この観葉植物は二項対立的に進むこの作品の中における唯一の第三項として存在している。

 

物語の中でこの植物は対立するものがいない。両極端に存在するモノの間を不安定に漂うだけの存在なのがこの観葉植物だ。

 

この映画の中における代表的な二極はもちろんレオンとマチルダである。

 

この観葉植物はある時はレオンの方に天秤が傾き、またある時はマチルダの方に天秤が傾く。

 

それはレオン自身が「寡黙なところと根無し草なところがそっくりさ」という言葉からも分かる。それに対してマチルダは「大地に植えれば根も張るわ」と言う。しかし、この観葉植物はある時にはまるでマチルダの象徴になるのだ。

 

それはマチルダ自身が発したように、大地に植えた時である。大地に根を下ろした植物は、これからのマチルダを象徴している。

 

今まで、根無し草で何回もレオンと共に寝ぐらを変えたマチルダが、寄宿制の学校に通い始める。その学校の庭に生える、大きな木の根元に植物を植えるこのシーンは明らかにマチルダとオーバーラップする。植物に対しての「これで安心ねレオン」という台詞は引いてはマチルダ自身への台詞に思えてならない。

 

では、マチルダを象徴する植物の側にいる大きな木は何を象徴しているのか?それを言うのは野暮というものではないだろうか。

 

物語が常に二項対立的に進むからこそ、最後のマチルダの心情は物語序盤のこの言葉から推して知るべしなのである。

 

「大人になっても人生は辛い?」

「辛いさ」

 

この言葉のうちに、物語を見終わった私たちは「これで安心ねレオン」という言葉によって救いを見出すのではないだろうか。