路傍の礫石

ふと気が付けば見える、足元を支える小石たち

モーターサイクル・ダイアリーズ(2004)

アマゾンのプライムビデオの一覧で見つけた懐かしい映画。もう10年以上経つのかと思うと、驚くべき時の速さである。つい最近この世を去ったキューバフィデル・カストロ国家評議会議長のこともあり、久し振りに見てしまった。

 

名作はいつ見ても名作であり、決して色褪せず、その時々で感じ入るものが千差万別なところが、きっと名作たる所以なのである。

 

このモーターサイクル・ダイアリーズもいわゆる「名作」のうちの一つなのは観た人には分かってもらえることだろう。

 

時は1952年の南米アルゼンチン、8年後にゲリラヒーローとしてキューバー革命を成功させ、かのジョン・レノンから「世界で一番カッコイイ男」とまで呼ばせた人物、エルネスト・ゲバラがまだ若き医大生であったころの話。

 

物語のプロローグの言う通り、これは偉業の物語ではないのだ。若者が無二の親友と共に南米大陸を縦断した物語だ。

 

その距離はおよそ12,000km、おおよそ日本を1周するくらいの距離である。その距離をオンボロ自動二輪の愛機「ポデローサ号」に乗って親友アルベルト・グラナード共に旅立つ。

 

旅の始まりは、日々の生活に閉塞感を感じた若者二人の無計画のものではあった。しかし、滾る思いは鎮まることはなく、フーセル=熱い男と呼ばれたエルネストにはピッタリなものであったのだろう。

 

道中、トラブルはあったものの若者らしく旅を楽しみ異国の空気と情緒に触れる。

 

だが、その旅行気分も道中にインディアンの夫婦と出会ったことで一変する。夫婦は、土地を追われ、生活の糧を求めて銅山へ働き口を求めて旅をしていたのだ。

 

夫婦と共にチュキ・カマタ鉱山に辿り着いてからエルネストは衝撃を受けるのである。それは白人達に酷使されるインディアン達の姿であった。

 

 アメリカの企業が所有しているチュキ・カマタ鉱山で、現地の人々の扱いや収奪されている様子を見て、世の中に対し疑問を感じ始める。

 

そして、マチュピチュ遺跡に触れ、先住民達の偉大さに感銘を受け、世の中の疑問を深めていく。

 

その後、ペルーでハンセン病の権威の世話になりながらマリアテギの書籍を通じてマルクス主義に触れるのだ。

 

マルクスに触れることで、エルネストの目にはマルクスの言う階級がありありと見て取れたことだろう。

 

チリに入国した直後の観光者として振舞っていたエルネストはもうそこにはいない。見えるのはブルジョワジーによるプロレタリアートの収奪の景色のみであった。

 

それはインディアン達と白人だけではなく、ハンセン病患者と医師達という構造でも同じであった。

 

階級とは自身がプロレタリアートと自覚したものの前にしか立ち現れない。彼我との間にある何かに気づいた人にしか分からないのである。

 

マルクスが偉大なところは、下部構造にいるプロレタリアートこそが社会を形成しているという点にある。

 

人が生きていくには食物を食べなければならず、人は食物を経済活動によって獲得していく。ならば社会を構成する宗教や政治や文化は、全て下部構造たる経済がなければ成り立たないと考えたのがマルクス唯物史観だと理解している。

 

つまり、ブルジョワジーブルジョワジーでいられる所以はプロレタリアート達の振る舞いによって規定されており、だからこそプロレタリアート達の団結が革命を生み、世を変えるのである。

 

療養所はまるでシスター達が定めたルールで、物事が全て進んでいるように見える。それはパパ・カルリートが初めてエルネストにあって握手を求められた時のシーンに現れている。

 

上部構造たるシスターたちが社会を定めているように見えるが、実は下部構造たるハンセン病患者達が療養所を形成せしめる最大の要因なのである。

 

エルネストはそれを療養所にいる短い時間で実体験より学んだ。手袋という外部装置を持ってしか触れられない存在だったはず、最後には皆が手袋を外し始めている。

 

これはシスター達のルールが変わったわけではない。ハンセン病患者みんなの意識と団結により勝ち得た革命なのである。彼らはシスター達を恐れ、シスター達のルールを遵守しようとしていた。だからこそエルネストに対して暗に手袋を付けるように態度で示したのだ。

 

しかし、サッカーを興じるシーンではどうだろうか。誰一人として手袋をしていないことを咎める者はいないのだ。ましてや、ミサに参加していないエルネストに対して食べ物を渡すと言う、シスターへの背信行為も当たり前のように行なっている。団結により生じた変化、これこそが革命なのである。

 

マルクスの言う「団結せよ」をエルネストはこの時に学んだのだろう。世の中に疑問は尽きねども、世の中を変えることが出来ると。

 

それはつまり、南米に住まう全ての収奪された者達の解放への道でもあるのだ。このことをハンセン病患者を通じて学んだのだ。

 

そして、療養所の最後のシーンでアマゾン川を泳いで横断すると言う、とても神話的な行為を通じ、ついにはシスター達までもがエルネストに拍手を送る。

 

療養所を患者みんなで作ってくれた「マンボ・タンゴ号」に乗り、別れを惜しみながらも療養所を去るのである。

 

その後、ベネズエラでエルネストは無二の親友アルベルトと「アディオス!アミーゴ!」と言葉を交わし、アルベルトと別れ一人旅を続けるのである。

 

この映画は偉業の物語ではない。しかし、偉業を支えるのは偉業ではない日々と出会いなのである。

 

この4年後にエルネストは英雄フィデル・カストロと運命の出会いを果たし、わずか82人の同志と共に革命を開始し、ついにはアメリカの息のかかったバティスタ政権を打倒し革命を果たすのである。

 

その革命の帰結にモーターサイクル・ダイアリーズの日々が無関係であるとは決して誰も思わないであろう。