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路傍の礫石

ふと気が付けば見える、足元を支える小石たち

コンスタンティン(2005年)

肺癌で死にそうだけど今さら手遅れで止められず、だけど死んで地獄に行きたくないから世界の均衡のために戦うアメリカン・ダークヒーローそれがコンスタンティン

 

キアヌ・リーブスのダルそうにヤレヤレ感を出しながらも、確実に悪魔を仕留めるデビルハンターぶりには男子として想像力が掻き立てられる。

 

何故、ダークヒーローは魅力的なのだろうか?洋物で言えばバットマンだったりスポーンだったり、日本で言えば妖怪人間ベムだったりゲゲゲの鬼太郎だったりいるわけで(かなり古めではあるが、バットマンも古いので比較対象としてはちょうど良いのである)、新しい作品だったら東京喰種のカネキくんとか枚挙に暇がないが、共通して主人公であれ敵役であれ魅力的なのに変わりはない。魅力的な理由は、ダークヒーローの条件にあると思うので、そこを紐解きたい。

 

ダークヒーローには、いくつか条件があると思うが個人的に重要だと思うのが「半端者」であることが大事な要件だと考えている。半端者であることに加えて、スパイスで少し暗い背景を明示されると良いのである。妖怪人間ベムもいつか人間になりたい存在だし、鬼太郎も妖怪でありながら人間の味方だし、カネキくんは人間でありながら喰種でもある。これらはみんな両極端の存在達の中間に位置する第三項として機能している。

 

いつの時代でも新しく改変し続けるものは、秩序と混沌の間に位置する深淵の淵に立つものである(少なくともロラン・バルトは文学においてはそんな言い方をしていた)神話の時代であっても古代メソポタミアでは神々の時代を加速させたのはウルクの王であるギルガメッシュであり(彼は神と人から生まれた子である)日本書紀で言うところでは天照大神の子孫の神武天皇である。

 

彼らは物語を加速させ、変化させ、拡張することを構造的に位置付けられているから魅力的なのだと思う。東京喰種ではカネキくんが出てくるシーンでは何かが起こると期待をしてしまうのも致し方ないことだと思う。

 

そう考えた時にコンスタンティンは何が中途半端かと言うと、彼は人間でありながら人ならざるモノの世界を垣間見ることが出来、そして彼は生きながらにして死んでいる経験がある。つまり彼岸と此岸の狭間に漂い、ステュクス川の渡し守カロンのように常世と現世を行ったり来たりしているのだ。

 

最後のシーンでルシファー相手に中指を立ててざまぁみろと言わんばかりのポーズをして、天国に召されるかと思いきや、ルシファーに延命されて結局死なない中途半端なところも魅力の一部なのだろう(さらにその時に肺癌も治してもらっている)。

 

この厳しい世の中と物語に通じるところは、秩序に己の心身共に全霊を傾注する者たちではなく、何処か反感的で従順でもあるが既存の権力にも半身を置きつつ、新興勢力にも半身を置けるそんな中間項が世の中を変えるのだろう。